Roots | Lotustorks

2020/05/02 13:00

ども。
製作担当の中西です。

今回はもう半年ほども前に紹介した内容(https://www.lotustorks.com/blog/2019/10/20/071115)のさらなる続編を書いてみようかと思います。
相も変わらずフランクな表現が含まれますのでご了承ください。
あと今回は超長編ですのであしからず。



そもそもこの『製作担当の中西です』シリーズを書こうと思ったきっかけは、Lotustorks(ロータストークス)というあまりにも聞き慣れないブランドをどんな人間が創り上げているのかについて、少しでも知っていただきたかったからです。
なんの前情報もなく直に私と出会ってしまったら、高確率で性格を誤解されてしまうのも一つの理由になります(笑)

もちろん販売している商品には自信がありますし、実際にご愛用いただいている方々からはかなりのご好評をいただいています。
ただ言ってしまうと身も蓋もないかもしれませんが、モノがいいのは当たり前な気がしなくもありません。
あくまでも製作している立場のワガママではありますが、できることなら製品や製作のバックグラウンドを知っていただくことが、きっとお客様の音楽ライフをよりよいものにするための一助になる、とも思ったりすのです。

さて、
前置きが長くなりましたが本題に入りましょう。
前回の記事では私がその後の人生で深いかかわりを持つLotustorks代表の吉川と出会い、大学入学と同時に入ったサークルを即辞めして、一人で音楽をしていくことを選んだところまでお話ししました。

こちら前回のお話の終わり、大阪のライブハウスで一人演奏している私です。
実際に一人で色々頑張っていたようですが、記憶力のよさには一定の自負がある私でも、さすがに当時やっていたことや感じていたことのすべてを覚えているわけではありません。

少し当時の自分に立ち返る必要があります。
開きましょう。

mixiを。

1.マイルストーン

mixiと言えば当時は人気絶頂だった、今で言うSNSの先駆けのような存在でした。
前略プロフ
魔法のiらんど
こういった単語を目にして発狂する方々はおそらく同世代なので仲良くなれるはずです(笑)


少し話が逸れましたがこのmixiにはダイアリー機能がついていて、当時の私はこの日記を書きまくっては友人たち(マイミク)とコメントなどを通じて交流していたのです。
まぁ当時絶頂だったブログのようなものをSNS感覚で投稿するというですね。

開いてみると・・・
まぁ当時の記憶が出るわ出るわ・・・
というかよくぞこんなに各地を飛び回って・・・
ずっと一人ぼっちで頑張っていた自分に正直心が熱くなってしまいました・・・

当時の自分に会えることができるなら好きなだけ焼肉でも食べさせてあげたい

2.焼肉、別にいらんけど。

自分の過去を振り返った今の私は当時の自分に感動のようなものを感じました。
しかし記録によると当時の自分は大変という感覚など微塵も感じておらず、一人各地を飛び回る日々になんの疑問も抱いていなかったようです。

各地を飛び回ると言ってしまえばわかりにくいので、記録されている限り音楽活動をして回った場所について書き出してみましょう。
東京
大阪
京都
奈良
滋賀
島根
岡山
愛媛
長崎
これだけの場所にたったひと夏で、たった一人で、しかも半数の場所は複数回、ライブして歩いていたようです。
無論音楽行脚ですから、観光の記録などは皆無でした。

当時の私は今から考えるとかなり贅沢な機材を揃えていた上に、上記の工程とは別に有名アーティストを見に都市部へ出かけていたので、正直資金が潤沢だったとはとても思えません
そういった状況にもかかわらず酷暑の中ベースを担ぎ、両手には機材と荷物を持って、時に夏のスコールに遭遇し、それでも黙々と一人ぼっちでこれだけの場所をまわるのは、
今思うとハッキリ言って狂気の沙汰です。

なんか自分すごいでしょアピールに聞こえてきたのでこの辺りにしておきます(笑)

30歳を目前にそれまでの仕事を辞め、それまで住んできた土地を離れて上京してきた私ですが、ある意味自分の行動にも納得できました。
たぶん私は元々そういう人間だったのです。

3.ファンタジスタ

そこまで日記を読み返してふと当然の疑問が湧いてきました。
なぜ自分はそんな狂気の沙汰を続けていられたのでしょうか。

当時ライブをしてきた中にありがたくもギャラをくださる方もおられました。
このことは今にしてみても本当にありがたい限りです。
ですが大半は自分で関係者の方々とコンタクトを取って、旅券や宿泊の手配をして出向かせてもらっていました。
いやそれ正直絶対キツイっしょウケる。

しかし日記を読み進めていくと大変ながらに続ける理由について書かれていました。
抜粋してみます。

『幸せなことに毎回毎回たくさんの人に声を掛けていただけて帰り道は疲れがたまってても足取りは軽い。
今回はライブを主催する楽器店の方がずいぶん楽しみにしていてくれていたみたいで、以前も電話で『楽しみにしています!』と言ってくれていた。
ライブが終わるとその方に「ファンタジスタでした!」と言っていただいて、その時の満面の笑顔が帰り道では忘れられなかった。
だから明日も歩く。』

実際にファンタジスタでいられたかどうかは別にして、
なんか・・・自分に酔ってる感の文章がウザい(笑)
どうやら大好きなピアニスト上原ひろみさんのブログの書き方をこの日だけ真似していたようです。

ですがこの文章を読んで当時の感覚や記憶を鮮明に思い出しました。
ベース一本で、まして弾き語りのように歌うわけでもないのにステージに立っているのは控えめに言って珍しいことだと思います。
特に当時は今ほどYoutubeやSNSなども発達していなかったのでなおさらです。

奈良県では文化ホールのような数百人いる場所で演奏させてもらったりもしましたが、演奏前は特段誰と話すでもなく、お客さんも物珍しいものでも見るかのような目を向けてきます。
こればかりは当然で毎回のことでした。
ですが演奏が終わってからは、

最高だった
正直最初はおかしなやつが来たと思ってました
音源はないのか
ホームページはないのか
フライヤーをもらえないか
よかったら一緒にバンドやってもらえませんか

これでもかというほど温かい声をかけていただいて、たくさんの方々と一緒に写真を撮らせていただきました。
mixiに色んな方との写真を掲載していたのでお見せしたいのですが、ここでは遠慮させてください。

その後はそんなこともあったので友人の協力を得てホームページを作成したり、名刺を作ったりもしました。
色んな方の声援に応えたかったのでしょう。

当時はLotustorksの吉川が『しょういちさん』と呼んでいたことや、中西昇一郎(なかにししょういちろう)という私の名前は外国人の方には長くて覚えにくいということもあったので『しょういち』名義で活動していました。

宣伝材料用の写真も一人で撮ったりしていたものです。

宣材なのに自分が写っていない(自分で撮影してるから写せない)構図はイマイチ意味が分かりませんが(笑)
ですがこうして積み重ねていたことは、自分事ながら当時の私を褒めてあげていいのかなと思います。

4.終わりに向けて

そうこうしている内にいつの間にか大学生活も終盤に差し掛かってしまいました。
その時になると入学前から何かとお世話になっていた先輩の勧めや紹介もあって、当初とは違う音楽サークルに入れてもらうことができ、楽しく過ごしことが出来ていたと思います。

サークルの先輩や後輩が入り乱れて撮影したプリクラなんかも出てきました(笑)
当時は髪がアホほど長かったのでお団子にしていたのも今ではいい思い出です。。。
ちなみにここでのニックネームは、お兄さん的ポジションの学年になってからサークルに入ってしまったので、中西からとって『なかにぃ』になったのだとか。

大学生活の終盤になってから始めることになったサークル活動ではありますが、最終的にいい仲間に恵まれたと思います。
音楽とは別に学業も含めて色んな事がありましたが、総じていい大学生活だったように思います。



私は聴く側であれ、演る側であれ、もちろん音楽が好きです。
言い方はアレですが、そうでなければ経験者でもないのに楽器関連製品の製作なんてやってられません。

しかし振り返ってみると私がいまだに音楽に携わっている理由は、
単に好きだからというものではなく、
音楽を通じて誰かの喜ぶ顔が見たいからなのかもしれません。
今回記事を執筆するにあたり、過去の自分を見つめてそう感じました。

今回のお話はここまでです。

次回、
暗黒期
乞うご期待。

~おそらく続く~

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